研究者同士の結婚
大阪大学・蛋白質研究所- 榊原由紀子, 蛋白質科学会アーカイブ, 1, eOp 01 02 (2008)
- https://www.pssj.jp/archives/opinion/Op_02/Op_02.html
私たち夫婦が出会ったのは4年前、お互いが大学院の学生時代で、将来の計画も経済的な問題も特に考えることも無く、共に26歳で結婚してしまいました。こんな話どこにでもあるし、私が教えを受けている教授もそうだったらしいので特に不安は無く、皆さん何とかしている、私たちにできないはずは無い、と安易に考えていたことは確かです。
しかし、結婚している、というのは一体どのような状態を指しているのでしょうか。なぜ人々は結婚するのでしょうか。人が結婚しなければ子孫を残せない、という知能ある人間本来の使命は別として、本当に意味のある良き結婚観とはどのようなものなのだろうか、そしてそのようなものと較べた時の私たちの結婚の現状はどのレベルのものなのだろうか、ということを考えてしまいます。男性と女性が結婚するということはそうした方がお互いに便利だから、というものではないことは確かです。家庭を持つ、という言葉でも表される結婚とは、二人で力を合わせて安定した家庭を築くためにお互いが相手を必要としているから、というのがその理由の一つかも知れません。でもどのような家庭をどのように築くために、お互いのどんなところを必要としているのでしょうか。こんなことを改めて考えながらこの文章を書いています。
私たちの周りを見回してみますと、共稼ぎというだけではなく、同じ研究室、職場で知り合って結ばれたカップルが大勢いらっしゃいます。非常にうまくいっているカップルもいらっしゃれば、お二人のどちらかが力の限界を感じておられる場合もあるようです。中には上に書いた良き結婚観というものから照らし合わせてみて、結婚している意味が見付けにくいカップルもおられます。
私たちの場合はどこら辺にいるのでしょうか。私たち二人は現在お互いに学位取得を目指して日々研究をするため非常に忙しい毎日を送っています。種類や機能は違いますが蛋白質の構造解析や機能解析が私たちの研究の対象です。培養や、抽出、多くの分析装置の操作、分析結果の解析には非常に長い時間が必要です。そのため二人の生活はとても変則で、顔を合わせることができるのは学生食堂で二人並んで夕食を取る時だけ、ということが日常です。週末もこの状態は同じです。このような常時すれ違い状態の結婚生活にどんな意味を見出すか、という問いかけに私たちはまだ答えを出すことはできません。
しかし、それでは私たちはこの状態に大きな不満を抱いているか、といえばそうではありません。私たちの心は常にどこかでつながっています。お互いが精神的に支え合っています。お互いの良い実験成果を心からうれしく思います。悩みを共有し、吸収し合うこともできます。時には私は腕をふるいおいしいものを作り、主人はそれをおいしそうに食べてくれます。私たちは今のこのような生活に、とりあえずは満足しています。私たちの本来の仕事である研究の順調な進捗があり、この結婚生活がその進行の妨げになっている部分もありません。私たちの家族もこのような私たちを温かく見守ってくれており、陰で応援してくれています。
さて、問題はこれからです。これからどうしましょうか。二人が学位を取ります。(たぶん取れると思いますが)その後、もしそれぞれがその道を極める進路を取った場合、つまり、二人がその道での第一人者を目指した場合、二人はどのようになってゆくのでしょうか。そのおかげで将来二人が別々の国で生活しなければならなくなった場合はどうすればよいのでしょうか。つまり二人での生活を重視するか、二人のプロフェッショナルとしての独立した生活を取るか、ということでしょう。私はその場合躊躇なく前者の方を取るだろうと思います。
結婚イコール家庭を作ること、であるなら子供はどうしましょうか。私は今の状態では子供を作ることはできません。なぜなら、子供を育てることはそんなに簡単なことではないと考えているからです。とても大きな責任のあることだと考えています。お金があって食事と学校教育さえ与えれば子供は大人に育つかもしれませんが、それでは責任を持って育てたことにはならないと考えているからです。世の中には仕事と子育てをうまく両立される有能なお母さんたちも多く見受けます。しかし、残念ながら私にはその能力はありません。ですから、私の選択肢としては、もし今ここで子供ができてしまったら、私は今の研究生活を放棄し、子育てに専念する道をとるしかありません。このようなことを考えてみると、最終的には私は女だから男性に従属してしまうことになるのでしょうか。女であるということはこのようにいつも不利なことなのでしょうか。
男性と女性は基本的には対等であるはずです。でも、ここで対等の意味を取り違えると不幸な結果を招くことになるかもしれません。夫婦二人にはそれぞれに役割があります。その役割を十分理解し、それらを努力して果たすことができて初めて対等なのでしょう。目指している地位のレベルが近い者同士の結婚ではお互いが自己の正当性を主張する過ちを犯してしまいがちです。そんなときはお互いが自らを謙虚に見つめなおし、結婚の意味とそれぞれの本当の役割をもう一度考えてみることが大切なのではないかと思っています。お互いが研究者である私たちにはそのような努力が人一倍必要なのだ、と言えるのではないでしょうか。