概要
大腸菌発現系は安価で簡便だが、適切な構造を保った状態での発現や封入体からのリフォールディングが困難な場合がある。そこで、本プロトコールでは大腸菌発現系では発現が困難な組換え蛋白質をヒト培養細胞株を用いることで大量発現させるための方法を述べる。本方法により得られた蛋白質は生化学的な機能解析のみならず、X 線結晶構造解析、クライオ電子顕微鏡構造解析にも適している。
装置・器具・試薬
- クリーンベンチ:細胞培養用(各社)
- 細胞培養用 \(\ce{CO2}\) インキュベーター(各社)
- \(\ce{CO2}\) ボンベ(各社)
- 15 cm 細胞培養用ディッシュ(各社)
- 細胞培養用ローラーボトル(各社)
- ローラーボトル培養用インキュベーター(各社)
- 恒温水槽:培地を37.0℃に温める際に使用(各社)
-
滅菌フィルター(各社)
- 細胞
- 293T 細胞または293系統細胞:主に機能解析、クライオ電子顕微鏡構造解析用(各社)
- 293SGnTI(-) 細胞:主に X 線結晶構造解析用(要問い合わせ)
- DMEM 培地:1.9 L(ディッシュ)または 7.5 L(ローラーボトル)(各社)
- 牛胎児血清(FCS):120 ml または 425 ml(各社)
- 炭酸水素ナトリウム(\(\ce{NaHCO3}\))(7.5%):100X で使用(各社)
- 非必須アミノ酸:100X で使用(ナカライ,code:06344-56)
- ペニシリン・ストレプトマイシン:100X で使用(Gibco,code:15140-163)
- ポリエチレンイミン “マックス”(PEI MAX):1 mg/ml 水溶液(pH7)で使用(Polysciences,code:24765-1)
- セレノメチオニン誘導体蛋白質を発現させる場合:L-メチオニン、L-システインの入っていない DMEM に L-セレノメチオニン(30 mg/L)と L-システイン(63 mg/L)を加える(各社)
-
10x PBS(-):1 L 分。これを10倍希釈して使用。
\(\ce{NaCl}\) 80 g \(\ce{KCl}\) 2 g \(\ce{KH2PO4}\) 2 g \(\ce{Na2HPO4・7H2O}\) 21.6 g - トリプシン溶液:PBS(-) でトリプシンの最終濃度が0.1%になるように溶かす。さらに、最終濃度が0.02%になるよう EDTA を加える。
- プラスミドベクター:ヒト培養細胞で発現可能なもの(各社)
(著者らはSV40 oriを持った蛋白質発現用プラスミドを使用し、同時に SV40 large T antigen 発現プラスミドを 1/10 等量入れて目的蛋白質の収量を上げている)
実験手順
まずは10% FCS DMEM と293系統の細胞を 9 cm ディッシュ1枚分、準備しておく。
– 15 cmディッシュを用いる場合(図1A) –
最終的に15 cmディッシュ33枚分まで増やす。
- 第1日目
- 細胞の継代(15 cm ディッシュ3枚へ)
- 第2–3日目
- 細胞培養
- 第4日目
- 細胞の継代(15 cm ディッシュ33枚へ)
- 第5日目
- 細胞培養
- 第6日目
-
- 0% FCS DMEM を準備。
- プラスミドのトランスフェクション
- 第7–9日目
- 細胞培養(蛋白質発現)
- 第10日目
-
- 蛋白質の回収
- ディッシュをオートクレーブ
– ローラーボトルを用いる場合(図1B)–
最終的にローラーボトル15本分まで増やす。
- 第1日目
- 細胞の継代(15 cm ディッシュ3枚へ)
- 第2–3日目
- 細胞培養
- 第4日目
- 細胞の継代(15 cm ディッシュ15枚へ)
- 第5日目
- 細胞培養
- 第6日目
- 細胞の継代(ローラーボトル15本へ)
- 第7–8日目
- 細胞培養
- 第9日目
-
- 0% FCS DMEM を準備。
- プラスミドのトランスフェクション。
- 第10–11日目
- 細胞培養。(蛋白質発現)
- 第12日目
-
- 蛋白質の回収。
- ローラーボトルをオートクレーブ。
実験の詳細
– 15 cm ディッシュを用いる場合 –
第1日目
9 cm ディッシュにほぼコンフルエント(培養細胞が接着面いっぱいに広がっている状態)になった 293SGnTI(-) 細胞を PBS(-) 4 ml で洗い、取り除いた後、トリプシン溶液 0.4 ml を加え細胞を剥がす。この間に 15 cm ディッシュ3枚へ10% FCS DMEM を 22 ml ずつ分注いでおく。トリプシン処理をした細胞のディッシュに10% FCS DMEM を 9 ml 注ぎ、ピペッティングで細胞をほぐす。この細胞懸濁液を 15 cm ディッシュ1枚当たり 3 ml ずつ注ぎ均一になるように混ぜる。最終的に3枚分になる。これを37.0℃、5% \(\ce{CO2}\) の細胞培養用インキュベーター内で培養する。
第2–3日目
細胞培養。(ほぼコンフルエントになるまで)
第4日目
先ず、830 ml の10% FCS DMEM を37.0℃に温める。15 cm ディッシュ3枚のほぼコンフルエントになった細胞を1枚当たり PBS(-) 4 ml で洗い、取り除いた後、各ディッシュ当たりトリプシン溶液 0.8 ml を加え細胞を剥がす。トリプシン処理をした細胞の各ディッシュに10% FCS DMEM を 9 ml 注ぎ、ピペッティングで細胞をほぐす。この細胞懸濁液を37.0℃に温めた 830 ml の10% FCS DMEM に懸濁させる。新しい 15 cm ディッシュに1枚当たり 25 ml ずつ、33枚注ぐ。これを37.0℃、5% \(\ce{CO2}\) の細胞培養用インキュベーター内で培養する。
第5日目
細胞培養
第6日目
細胞が80–90%コンフルエントになっているので、トランスフェクションを行う。
- 0% FCS DMEM 75 ml にプラスミド 1800 μg を混ぜたもの
- 0% FCS DMEM 75 ml に PEI MAX 5.4 ml(1 mg/ml)を混ぜたもの
を用意し、2を1に混ぜ、20分待つ。
20分後、FCS の最終濃度が2%になるように調整した DMEM 900 ml に加える(トランスフェクション溶液:合計 1.05 L)。次に、細胞が育っているディッシュから培地を全て抜く。その各ディッシュにトランスフェクション溶液を 31 ml ずつ注ぐ。これを37.0℃、5% \(\ce{CO2}\) の細胞培養用インキュベーター内で培養する(セレノメチオニン誘導体蛋白質を発現させる場合は、この段階で L-メチオニン、L-システインの入っていない DMEM に L-セレノメチオニン(30 mg/L)と L-システイン(63 mg/L)を加えた培地を使う。その他の作業は同様である)。
第7–9日目
細胞培養(蛋白質発現)
第10日目
分泌蛋白質として発現させた場合は上清を回収。我々は基本的に可溶型にして発現させているので上清から目的蛋白質を回収するが、細胞内蛋白質の場合、培地を除き、PBS(-) で洗った後、セルスクレイパーで細胞を剥がす。それを PBS(-) に懸濁させて遠心(4℃、200 x g、5 min)して集め、上清を取り除いた後に細胞溶解バッファーで溶かす(細胞内蛋白質の場合、ダメージが大きいので蛋白発現の際の培養期間を2日程度にした方が良い)。その後、精製へ。細胞培養に使ったディッシュはオートクレーブにより滅菌処理を行い、捨てる。
– ローラーボトルを用いる場合(表面積 850 cm2)–
第1日目
9 cm ディッシュに90%コンフルエントになった 293SGnTI(-) 細胞を PBS(-) 4 ml で洗い、取り除いた後トリプシン溶液 0.4 ml を加え細胞を剥がす。この間に 15 cm ディッシュ3枚へ10% FCS DMEM を 22 ml ずつ分注しておく。トリプシン処理をした細胞のディッシュに10% FCS DMEM を 9 ml 注ぎ、ピペッティングで細胞をほぐす。この細胞懸濁液を 15 cm ディッシュ1枚当たり 3 ml ずつ注ぎ均一になるように混ぜる。最終的に3枚分になる。これを37.0℃、5% \(\ce{CO2}\) の細胞培養用インキュベーター内で培養する。
第2–3日目
細胞培養
第4日目
先ず、380 ml の10% FCS DMEM を37.0℃に温める。15 cm ディッシュ3枚の90%コンフルエントになった細胞を1枚当たり PBS(-) 4 mlで洗い、取り除いた後、各ディッシュ当たりトリプシン溶液 0.8 ml を加え細胞を剥がす。トリプシン処理をした細胞の各ディッシュに10% FCS DMEM を 9 ml 注ぎ、ピペッティングで細胞をほぐす。この細胞懸濁液を37.0℃に温めた 380 ml の10% FCS DMEM に懸濁させる。各ディッシュ当たり 25 ml ずつ、15枚注ぐ。これを37.0℃、5% \(\ce{CO2}\) の細胞培養用インキュベーター内で培養する。
第5日目
細胞培養
第6日目
先ず、3 L の10% FCS DMEM を37.0℃に温める。15 cm ディッシュ15枚の細胞がほぼコンフルエントになっているので、ローラーボトル(850 cm2)へ細胞を継代する(15 cm ディッシュ1枚をローラーボトル1本へ継代することになる)。1枚当たり PBS(-) 4 ml で洗い、取り除いた後、各ディッシュ当たりトリプシン溶液 0.8 ml を加え細胞を剥がす。トリプシン処理をした細胞の各ディッシュに10% FCS DMEM を 9 ml 注ぎ、ピペッティングで細胞をほぐす。この細胞懸濁液を37.0℃に温めた 3 L の10% FCS DMEM に懸濁させる(我々は 1 L の IWAKI のガラスのボトル3本を用意して、1 L の培地に 15 cm ディッシュ5枚分の細胞懸濁液を混ぜて継代している)。各ローラーボトル当たり 200 ml ずつ、15本注ぐ。そこへ 0.22 μm フィルターを通した \(\ce{CO2}\) をパスツールで直接5秒ほど送り込み、フタをして密閉する(図2)。これを37.0℃のローラーボトル用培養機内で培養する。ローラーボトルに細胞懸濁液を注いだ後は、速やかに培養機へと移す(\(\ce{CO2}\) の充填は培地の pH 変化を小さくするための措置で、ローラーボトル培養装置内に \(\ce{CO2}\) が充填できる場合は、ローラーボトル内に直接 \(\ce{CO2}\) を充填する必要は無い)。
第7–8日目
細胞培養
第9日目
細胞が70–80%コンフルエントになっているので、トランスフェクションの準備をする(細胞の育ち具合は目視で。職人的な感が頼り。70–90%コンフルエント。ローラーボトルを間に挟めるタイプの顕微鏡があればより正確に確認できる)。
時間がかかるので、7.5本分ずつ用意してトランスフェクションする。
- 0% FCS DMEM 100 ml にプラスミド 1.8 mg を混ぜたもの(240 μg/ローラーボトル1本)
- 0% FCS DMEM 100 ml に PEI MAX 5.4 ml(1 mg/ml)を混ぜたもの(360 μg/ローラーボトル1本)
を用意し、2を1に混ぜ、20分待つ。
20分後、FCS の最終濃度が2%になるように調整した DMEM 1700 ml に加える(トランスフェクション溶液:合計1.9 L)。次に、細胞が育っているローラーボトルから培地を全て抜く。その各ローラーボトルにトランスフェクション溶液を 250 ml ずつ注ぐ。そこへ 0.22 μm フィルターを通した \(\ce{CO2}\) をパスツールで直接5秒ほど送り込み、フタをして密閉する。これを37.0℃のローラーボトル用培養機内で培養する。これを2セット繰り返して、計15本のローラーボトルにトランスフェクションを行う。ローラーボトルにトランスフェクション溶液を注いだ後は速やかに培養機(37.0℃、0.5 rpm)へと移す(セレノメチオニン誘導体蛋白質を発現させる場合は、この段階で L-メチオニン、L-システインの入っていない DMEM に L-セレノメチオニン(30 mg/L)と L-システイン(63 mg/L)を加えた培地を使う。その他の作業は同様である)。
第10–11日目
細胞培養(蛋白質発現)
第12日目
分泌蛋白質として発現させた場合は上清を回収。我々は基本的に可溶型にして発現させているので上清から目的蛋白質を回収するが、細胞内蛋白質の場合、培地を除き、PBS(-) で洗った後、0.02% EDTA 入りの PBS(-) を入れたボトルを軽くふって細胞を剥がす。その細胞懸濁液を遠心(4℃、200 x g、5 min)して集め、上清を取り除いた後に細胞溶解バッファーで溶かす(細胞内蛋白質の場合、ローラーボトルの培養だと細胞のダメージが大きいのでディッシュを用いた方法をお勧めする)。その後、精製へ。細胞培養に使ったローラーボトルはオートクレーブにより滅菌処理を行い捨てる。
工夫とコツ
ディッシュを用いた蛋白質の大量発現
現在は多くの研究室に細胞培養のための設備が整っているので、ディッシュを使えば新たな設備投資は必要ないのですぐに本方法を導入できる。ディッシュは NUNC の 15 cm ディッシュ(code:150468)を使っている。
ローラーボトルによる蛋白質の大量発現
新たな設備投資が必要になってくるが、発現系を大きくしたいときはローラーボトルを用いることで限られたスペースで細胞培養面積を拡大することが出来る。ローラーボトルは CORNING の内容量 2 L 表面積 850 cm2 のものを使用している(code:430849)。
細胞培養用培地
著者は細胞培養に使う DMEM は富士フイルム和光の D-MEM(高グルコース)(L-グルタミン, フェノールレッド, ピルビン酸ナトリウム含有)(code:043-30085)を使用している。また、トランスフェクション前に細胞を元気な状態に保ちたいことや蛋白質発現時に血清を2%に抑えるので \(\ce{NaHCO3}\) や非必須アミノ酸を添加している。
DMEM 500 ml に対して、
100× ペニシリン・ストレプトマイシン | 5 ml(トランスフェクション時使用の2% FCS 含有 DMEM には加えない) |
7.5% \(\ce{NaHCO3}\) 水溶液 | 5 ml |
100X 非必須アミノ酸 | 5 ml |
FCS 各濃度(10%や2%) |
ポリエチレンイミン “MAX”(Polyethlenimine MAX,PEI MAX)
一般にヒト細胞へのプラスミドのトランスフェクションには非常に高価なトランスフェクション試薬が使われているが、そのような試薬を使うと莫大なコストがかかるので、本実験系では極めて安価なポリエチレンイミン “MAX” という試薬を使っている。これを使うことで安価に、そして、容易にヒト培養細胞での蛋白質の大量発現を行うことが出来るようになった。著者らは Polysciences 社製の PEI MAX(code:24765-1)を使っている。約1000倍に水で希釈して使うので一度購入すると一生かかっても使いきれないほどの量がある。
ヒト培養細胞
ヒト細胞を使うメリットは得られる蛋白質の大部分が適切な構造を保っている点である。我々は大腸菌発現系では封入体を形成させた後に可溶化し、それをリフォールディングするという方法をとっているが、ヒト細胞の場合そうしたリフォールディングの条件検討や時間を省くことが出来る。ただし、大腸菌に比べ作業工程に日数を要する、収量が低く、コストが非常にかかるというデメリットもある。また、糖タンパク質の場合、しばしば糖鎖が結晶化の阻害要因になる。しかし、293SGnTI(-) 細胞(N-acetylglucosaminyltransferase I 活性を欠損させた HEK293S 細胞。文献5参照)を用いれば、均一なハイマンノース型(\(\ce{Man5GlcNAc2}\))の糖蛋白質を得ることが出来、さらに EndoH 処理により糖鎖を除去することも出来る。
謝辞
本発現系の導入においては英国 Oxford Univ. の Jones, E. Y., Davis, S. J., Aricescu, A. R. 各氏にお世話になりました。
文献
- Hashiguchi, T. et. al., Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 104, 19535–19540 (2007)
- Hashiguchi, T. et. al., J. Virol. Methods, 149, 171–174 (2008)
- Aricescu, A. R. et. al., Acta Crystallogr. D Biol. Crystallogr., 62, 1114–1124 (2006)
- Chang, V. T. et. al., Structure, 15, 267–273 (2007)
- Reeves, P. J. et. al., Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 99, 13419–13424 (2002)